金子金五郎語録(13) : 金子の加藤一二三論(2)

18歳でA級八段になった加藤一二三は、昭和35年(前々エントリーで紹介した文章の半年後)、20歳のときに大山名人に初挑戦し、その第一局に勝っている。
その将棋の観戦記「名人戦第一局 加藤八段の先勝」で、金子はこんなふうに書いている。

大山名人も加藤(一)八段も"積み重ね型"の棋風であるといわれている。
積み重ね型とは、初めの出方には大きな収穫はねらわないで、堅実に進め――ということは"負けない指し方"に通じてくる――て行き、対手の出方を見届けつつ、その都度、自分の指し方に対応させる棋風のことである。
しかし、それは自分の打ち立てる構想がないということではなく、構想に決定的な収穫を期待しないということである。
したがって構想に要する指手の手数が短かいという傾向が多い。その代り、その構想が第一次、第二次、第三というように幾重に積まれた結果、勝機を見出そう(局勢の均こうを破ること)とする。筆者はこのことを"思考線を短かく済ませる"といっているが、読みに要する手数がすくなくて、ある単位(局面の山ということ)を構成している。これを別な言葉で現せば"機会主義"とか現実主義ということになるだろう。
将棋は対手の出方次第で勝つものという意味ではこの積み重ね型は正しいかもしれないが、これは将棋というものを外面から見た場合について言えることであって、指す人の心の中にある"勝とうとする意欲"というものを想うと、積み重ね方式(それは負けないように指すことに重点が置かれている)だけでは行動の第一歩(行動とは読みということである)が踏み出せないと思う。ある着手を選び出そうとするさいに、局面の客観性に基く手を見出そうとするばかりでなく、だれでもそこに勝とうとする希望を実現させる方向を発見しようとする主体的な態度が一様に流れている。
棋風という言葉があるが、それは「勝とうとする心」を土台にし、その上に各自の個性を盛られて出来上がったもののことであると思う。
さて、この前置きを手掛りにして、似ているといわれる名人と加藤(一)の積み重ね型にも個性のちがいを見出すことができる。加藤のは同じ積み重ねでありながら、第一の山から次の山に局面が移るとき、対手を斬り返えす切尖きが名人より鋭いものがある。(この場合の鋭いということと手が正しいということと同一の意味ではないことを断っておく) つまりこれは現実的だが主体性(勝とうとする現れ)が名人よりは強烈だということになるだろう。(「近代将棋」第十一巻六号(昭和35年6月号))

これは「近代将棋」での執筆だが、当時金子は新聞将棋欄の名人戦観戦記も担当していて、この七番勝負において、加藤について次のような言及がある。
第十九期名人戦第一局第二譜

升田が加藤の将棋のことを「彼の攻めは一気に切りこんだと思わせるうちに、実はその刀を手もとに引いて次の攻めに備え直すか、あるいは守りに変じるかの用意が隠されている」という意味のことを述べたという。これは氏一流の表現で、言葉をかえると「彼の一手には自然のうちに攻守両様の備えが同時的に統一されて存在している。すなわち心の中で攻守が"ふくみ"という既存のものとなっている」ということであると思う。そしてこれが棋譜として表現されたとき、形式の上では木村十四世が本紙で語ったように受け―攻め―受け―攻めの積み重ね式の型のように感じられてくる。が、分断的な積み重ね型の将棋には苦しみの表情をかくすことはできない。本来、積み重ね型の大山名人の将棋にも初期の時代にはこの分裂の跡があったと思う。それが円熟の境に達するに及んで、この裂け目がうまく統一されてきている。しかしどうしても練摩という人工的な跡がある。そしてこれは尊敬されるべくまた強味ともなっている。
加藤の将棋は形式の上で積み重ね型であっても、名人にみられるような裂け目を努力して統一しているという苦しみの表情を感じることができないで、何かスムーズに行なわれているようにうけとれる。これは先に述べた彼は「最初から幾重にも積み重ねられた断層を根に持っている将棋」なので次の異なる断層(局面の変ぼうということ)に入るに当たり、すでにそれを統一しているものとして受け取っているためと思う。

第四局第二譜

升田がまだ青年棋士と書かれたころ「自分は将棋創成期に流れている荒けずりな精神に魅力を感じる」といっていたが、筆者は早くから加藤一二三の将棋にもそのような荒けずりな強さというものを感じていた一人である。そしてこの見方は今でも変わらない。しかし加藤がA級にはいるとともに、序盤の芸が中終盤の荒業的なものとおよそ異った細かい将棋をみせるようになったと思う。だいたい序盤の研究をはじめると、中終盤は序盤の延長であるとする考え方が強くなってくるものである。だから、加藤が本来的に所有していた荒けずりな中終盤の性格が、序盤の科学的な考え方というものに影響され、変化することは進歩を意味する。が、変ぼうを遂げる間の過渡期においての動揺が忍び寄ってくることも考えられる。なぜ、このようなことを述べたかというと、こんどの名人戦の第三局で加藤が勝ち将棋を逸していることについて、何か上述のことと関係がありはしないかと、ふっと思ったからである。勝負というのは理外の理という原因があってきまることが相当に多い。ここでいう理外の理とは、表面に現われない精神面のことであるが、若い加藤にはまだ彼が本来持っている荒けずりな指し方を抑制していると、そこに精神的な不調和が訪れることがある。それが表面に出てきて第三局の敗因をなした、という想像である。

第四局第三譜

若きころの木村名人には時には稚気とも言える覇気があったが、それでいて相手の気を引きこむような一種の魔力があった。升田九段には相手を屈服させる強制力ともいうべき気迫が立ち昇っている。これに比べて今の加藤八段は青年の素直さの中に「ただ、われ将棋するのみ」といった、ドライな面があるように感じられる。昔流の「心」といったものを先に出さないのがこの世代の特色というものだろうか。

ちなみにこの七番勝負は、加藤先勝のあと大山四連勝で大山が名人位を防衛したが、防衛を決めた第五局の観戦記を作家・五味康祐が書き、勝った大山に対して「町人根性」という言葉を使ってこう評したことで今も語り継がれる、あの七番勝負である。

武士の情けという言葉があって、古来、日本人は散りぎわを尊重する。筋目のある試合なら必ず止めを刺す。きり捨てにして、とどめも刺してやらないのは、相手が町人ふぜいの如き場合に限る。つまり大山と指して負ける棋士は、大山に町人根性でいたぶられるわけにもなろう。(第五局第十二譜、五味康祐)