どうして「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」という書名にしたんですか?

「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」発売から約一週間、Twitter等でたくさんの感想をいただき、ありがとうございます。

そして素晴らしい書評をいくつも読み、著者として嬉しい気持ちです。主だった書評はここにブックマークしましたので、ご興味のある方は是非読んでみてください。中でも「ものぐさ将棋観戦ブログ」の書評 は圧巻で感動しました。
著者自らが自分の作品についてあれこれと語るべきではないと常々思ってはいるのですが、この書名については想像していた通り色々な反響があり(中には厳しいご意見もあり)、「ものぐさ将棋観戦ブログ」の書評では、そのことにまでお気遣いいただいてしまったようで、感謝の気持ちでいっぱいです。

だから恐らく、本のタイトルが敢えてこういう挑発的なものなのだ。あくまで、将棋ファンだけでなく、全ての人間に将棋の世界の魅力を開放して解き放つために。(中略)
梅田は「はじめに」でも「あとがき」でもはっきりこういっている。最終的には、誰もが将棋の「全体」を愛するようになって欲しいと。(中略) 梅田が望むのは、将棋界最大のビッグネームの羽生を入り口として、誰もが他の色々な棋士にも興味を持ち、羽生のことにもますます興味がわき、結局将棋の世界全体を愛することである。タイトル名は、そのために梅田が自分の身を危険に晒してまでも巧妙に張り巡らせたワナだったのである。そして、読者がそうなるように本書は書かれているのだ。
最近ツイッターで、将棋を観戦することに専念して楽しむ「観る将棋ファン」が増えている。彼らを観察していると、まさに梅田が言うような成長の過程をたどっている。
入り口は大抵羽生だ。しかし、羽生の将棋を見ているうちに、他にも魅力的な棋士がたくさんいることに気づく。猛烈な勢いで詳しくなり、それぞれが各自の贔屓を持ちつつ、結局将棋の世界全体が好きになっていく。
本書で将棋の興味を持った読者が、そういうプロセスをたどることを梅田は切望しているはずである。

「自分の身を危険に晒」すというほどでは全くありませんが、ものぐささんが書かれたようなことを考えて、このタイトルをつけたのは事実です。ものぐささんの分析は当たっています。
あえて言えば、もう一つ理由があります。
何か(将棋)にほとんど関心のない人に、何か(将棋)に目を向けさせる。
これは、本当に本当に難しいことです。この本のタイトルを決めるときに、その難しさに挑戦してみよう、と思ったということがあります。
たとえば将棋が大好きになった小学生や中学生。そのお父さんやお母さんは将棋に全く興味がない、なんてケース。将棋に関心のないお父さんやお母さんと将棋の接点はいったいどこにあるでしょう。将棋大好き会社員が、将棋にまつわる何かの企画を社内で通して予算を確保したいと思った、なんてケース。将棋に関心のない上司や同僚と将棋の接点はいったいどこにあるんだろう。将棋が大好きと公言している私の周囲には、将棋に関心のない経営者ばかりがいて、その中にはときどき囲碁ファンがいたりする、なんてケース。将棋に関心がない経営者と将棋の接点はいったいどこに求めたらいいんだろう。そういう人たちと将棋の話をしたいと思ったら、その発端はどこに求めたらよいのでしょう。
現代将棋の奥深さ・面白さ、羽生善治をはじめとする棋士たちの魅力を、精一杯ベストを尽くして書いた本ができあがったとき、その本にこういうタイトルをつければ、普通の将棋の本など絶対に手に取らない人たちが「へえ」と思って、少なくとも1ページはめくってくれるのではないか、そしてその最初の1ページで、こちらの世界に惹きこむことができるような書き方ができていたとすれば、「将棋にほとんど関心のない人に、将棋に目を向けさせる」ことができるんじゃないだろうか。なにしろ、そういう人たちが私によく尋ねる質問が、そのままタイトルになっているわけですから。そして、ディープな将棋ファンにも面白く読んでもらえるものでなければ、関心のない人を動かすことなど絶対にできないだろうから、この内容にこのタイトルをつけるのは有りだ(主テーマはまさに羽生善治論であるわけですし)、と考えました。そしておりしも発売時期は、渡辺竜王と羽生名人の世紀の対決が行われているベストタイミング。将棋に関心のない人の耳にも、将棋のニュースが飛び込んでくる時期であるわけです。そういった諸々が、私なりに出した「難しさへの挑戦」の処方箋だったのでした。
ある囲碁ファンの方のこんな感想を読んで、その試みの効果があらわれているな、と嬉しい気持ちになりました。たとえば私だって囲碁の世界については、張栩さんくらいにしか関心がない。そこがきっかけにならなければ、囲碁の世界を垣間見てみようとは思わないわけです。囲碁についてそれ以外は、井山さんというすごく若い人が羽生さんと対談していたなぁくらいしか知らない。何かに関心のない人の知識は、そんなものです。それほど、「何か(将棋)にほとんど関心のない人に、何か(将棋)に目を向けさせる」というのは難しいものだと、私は認識しているのです。
ウェブ進化論」は、ウェブ大好きという若い人たちが、ウェブについてよく知らない上司や両親といった上の世代の人たちに本を贈る、という現象が起きました。「ウェブで学ぶ」は、それを読んだ大人たちが、子どもや親せきの中学生や高校生に贈る、という現象が起きました。
この本を、将棋ファンの人たちが、「将棋って本当に面白いものなんだよ、棋士たちってとてつもなく魅力的な人たちなんだよ、ほら」と言って、将棋に関心のない人に渡してもらえたら、それは著者にとってのささやかな喜びです。少なくとも、私は自分の周囲の人たちに対して、そんなふうに働きかけていこうと思っていて、その試みがなかなか上々の滑り出しなのだということも付け加えておきたいと思います。