金子金五郎語録(5)

大山名人の将棋が育った時は関西将棋が関東将棋の合理性を取り入れ、自己のものに消化すべく努力した革命期の時代で、その結晶が升田、大山の将棋である。
この消化――というよりむしろ逆に関東将棋を征服し終って――さらにそれが全棋界の主流となり、そこに東西の棋風はゆう合し一つの完成期が訪れた。(「近代将棋」第十三巻十二号(昭和37年12月号))