名人戦開幕

いよいよ名人戦開幕である。さきほど終局した第一局は、大熱戦の末、控室の三浦挑戦者優勢という声の中、羽生名人が先勝した。

私にとっては、棋士を目指して研修会な入会してからずっとつながっている階段の頂点というイメージがあります。一段一段昇ってきて、その頂点にあるもの。しかもその一段一段は、たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段ですね。どこまで行っても険しい山の先にある、特別なものだと思っています。

これは三浦挑戦者が「将棋世界」最新号で語っている、「名人位」というものについての感慨である。「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段」「どこまで行っても険しい山の先」という表現がすさまじい。
ウェブ観戦記を書き、本を書いたことで、多くの棋士たちと個人的に付き合うようになって、以前にもまして、対局一局一局の結果に一喜一憂するようになった。そしてそれと同時に、三浦が言う「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段」ということに、深く共感できるようになってきた。
たとえば、将棋界には七大タイトルがある。
いま棋界の新年度が始まり、四月から名人戦が開幕、そして六月から棋聖戦、七月から王位戦、九月から王座戦、十月から竜王戦と、2010年内には五つのタイトル戦があり、2011年に入って、一月から王将戦、二月から棋王戦と二つのタイトル戦がある。
さあ新年度、すべてはこれからと思っても、名人戦は羽生三浦二人の戦い、棋聖戦挑戦者の椅子に座れる可能性は、深浦・渡辺・稲葉の3人にもう絞られている。王位戦挑戦者は、紅白リーグの参加者12人の中から近々決まる。9月の王座戦は、挑戦者決定トーナメント参加の16人が決定し、まもなくトーナメントが始まる。
たとえトッププロの一人であっても、この中に残っていなければ、上半期にひのき舞台に上がる可能性はない。そしていま竜王戦各組のトーナメントが始まっているが、1組を除き、わずか1敗で、もう2010年の挑戦権は得られない。そして2011年冒頭の王将戦棋王戦の挑戦者を決める一次予選はもう始まっていて、かなりの数の棋士が既に敗退している。
将棋は逆転のゲームであり、たった一手の悪手で敗れる。三浦が言う「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまう」というのは、本当にリアルだ。仮に上半期の可能性がついえていて、竜王戦王将戦棋王戦の予選で1敗してしまえば、開幕したばかりの2010年度の可能性はそれでもう閉ざされてしまうのだ。たとえ「1日12時間の勉強」(三浦)を続けても、毎月勝負のある順位戦を除けば、すべては2011年度のための自己研鑽ということになる。そしてまた同じことが、翌年も続くのだ。
三浦が羽生七冠の一角を崩し棋聖位についたのは1996年のこと。翌97年に屋敷に棋聖位を奪われてから、このたびの名人戦までタイトル挑戦の機会はなかった。以来、23歳のときから36歳までの約13年間、三浦はストイックに将棋に打ち込んで生きてきたが、大事なところですべて敗れたから、タイトル挑戦の機会を逸し続けた。「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段」というのは、そんな三浦の実感のこもった言葉なのだ。
終ったばかりの名人戦第一局。三浦に勝機があったのではないかと控室では言われていたが、第一局の意味が研究・解明されたときには、おそらく三浦の「たったの1手によって」敗れたと総括されるに違いない。
三浦は順位戦終戦の前に、浅田真央の特集をテレビで見たという。

勝負を控えて猛練習に励む浅田さんの姿勢に、とても感銘を受けたんです。私は、浅田さんほど真摯に将棋に取り組んできただろうか、という想いが頭を横切りました。それで最終戦の郷田さんとの将棋までは、とにかくできる限りのことをやって戦いに臨もうという覚悟ができたんです。対局までの一週間は、将棋漬けの生活を送りました。

と語っている(「将棋世界」最新号)。
そしていま、三浦は約二週間後の第二局に向けて、同じような想いでいるのだろう。三浦はタイトル戦の番勝負への心構えについて、

いい意味でずうずうしくいこうと思っています。気を遣って疲れてしまい、いい将棋を指せないのでは本末転倒ですから。自分の務めは、全力を出していい将棋を指すこと。

と述べ(同)、決意のほどをあらわにした。
そして第一局では、その言葉どおりに、一日目の夕食は関係者と一緒ではなく一人自室でとり、対局中も耳栓をして盤面に集中していた。
再来週の日本出張のおりに、第二局が行われる遠野まで出かけることにしようと思う。人生を賭けた三浦の大勝負を、どうしても近くで観てみたいのだ。