「変わりゆく現代将棋」と羽生王座18連覇の偉業

シリコンバレーから将棋を観る」で詳述した羽生善治の長期連載「変わりゆく現代将棋」(「将棋世界」1997年7月号から2000年12月号、全41回)を、ゆえあって読み直している。
しかしこの連載の圧巻は、「5手目▲7七銀型で18手目△5三銀右と進む形の急戦矢倉」での19手目▲2六歩からの変化が、連載掲載時で9ヶ月、トータル約100ページにわたって語られる部分だと改めて思う。よく棋士の長考の中身について質問する人がいるが、「変わりゆく現代将棋」を読むと、棋士が「一つの手を選ぶ」とはどういうことなのかがよくわかる。
たとえばこの「5手目▲7七銀型で18手目△5三銀右と進む形の急戦矢倉」の場合、19手目の先手の選択肢は▲6九玉と▲2六歩と▲7九角なのだが、この連載では▲6九玉に2ヶ月、▲2六歩に9ヶ月、▲7九角に4ヶ月をかけ、その変化について詳述しながら、その先の局面の形勢を判断し、それらの総体としてこの三つの選択肢たる三手のいずれが良いかを考え続ける。そしてその検討結果から遡り、後手が18手目に△5三銀右とすべきだったか(普通に△5二金とすべきだったか)が省察されるわけである(ちなみに、去年の渡辺竜王が新手の秘策を用意して臨んだ竜王戦第六局、第七局の急戦矢倉は、5手目▲6六歩型で18手目△5三銀右と進む形の急戦矢倉だった。5手目▲7七銀の場合と▲6六歩の場合では、のちのち後手の飛車先の歩が2四にいるか2五にいるかの違いになって現れる)。
そして、「5手目▲7七銀型で18手目△5三銀右と進む形の急戦矢倉での19手目▲2六歩からの変化」が語られる最中に、筆者羽生がこうつぶやいていた(「将棋世界」1998年6月号)のに気付いた。

この原稿は"変わりゆく現代将棋"になっているが、今やっているのは5年前ぐらいに流行した将棋なので、少しでも最前線へ向って行きたい。

そこで、少し前にさかのぼって急戦矢倉の将棋を調べていたところ、羽生が初めて王座に就位することになる1992年の第40期王座戦挑戦者決定戦対米長九段(先手)戦が、まさに5手目▲7七銀型・18手目△5三銀右から、▲2六歩△5五歩▲同歩△同角▲2五歩△5四銀▲6九玉△5二飛と進んだ将棋なのであった(ちなみに最近では、約一ヶ月前のB1順位戦の畠山鎮渡辺戦で、5手目▲7七銀型・18手目△5三銀右の将棋が現れた。畠山の19手目は▲2六歩ではなく▲7九角だった)。
この将棋に勝った羽生は、福崎王座に三連勝で、初めての王座に就位する(1992年9月22日)。そして17年後の2009年9月25日、羽生王座は山崎七段を3連勝で下して王座18連覇という前人未到の偉業を達成したわけであったが、その18連覇に至る第一歩の将棋たる1992年の挑決米長戦が、まさに「変わりゆく現代将棋」の素材の将棋だったのかと、たいへん感慨深かった。
そして、羽生王座が18連覇を続けるこの17年の間、現代将棋は日々、進化を続けているのである。