金子金五郎再発見の輪

「lovingshogi・爛柯録」さんが、金子金五郎を読み始め、その感想がブログに書かれている。金子再発見の輪が広がり嬉しい限りだ。
「いろいろ」http://ameblo.jp/lovingshogi/entry-10282164688.html

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近代将棋』1971年2月号のみを入手す。
梅田望夫さんがなぜあんなに金子金五郎に惚れこんで
いるのか調べるために、連載「金子教室」をすこしでも目に
触れたかった。
なるほどと分かったょ。
梅田さんのいう「鑑賞」とは、指将棋と独立した価値をもつ
ものなのだな、と。
ひとつの戦い、棋譜を一個の文学作品として捉え、指し手に
尋ねることなく、棋士として自力でその棋譜の表現の背景、
潜在性をこと細かく、追究してゆく、文芸批評のようなもの
であり、むーと唸らされた。分量も多い。自戦記と似ているようで
違うところが味噌なのだろう。
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「金五郎先生」http://ameblo.jp/lovingshogi/entry-10284202160.html

■梅田さんの示唆で金子金五郎さんを知り、今度、
『金子将棋教室2・中原誠vs大山康晴』を入手した
のだが、また驚きの連続である。
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■そもそも金子さんはどういうお方なのか。
1902年生まれだから、小林秀雄と同年である。小津は
1903年生まれだから、その前年。
しかし小林よりもはるかに明確・的確な表現である。小林は
肝腎なところを、はったりやめくらましで誤魔化すところが
あるのだけれども(まあ重要な問題に逢着していることは
分かるが)、金子さんにはそれはない。あくまでも明確である。
1949年にすでに引退されているのだな。そういうポジション
なのだな。しかし後々までも文章・思考は若々しく、現役である。
■本当に、「素人談義」を避けられていないことも感動する。
ここまで突っ込んで表現しているなら、現在の「将棋評論」は
金子さんの時代からむしろ後退していないか?
私も大いに金子さんを「真似」たいと思っている。いいじゃないか(?)。
■なによりも、本当に将棋を通した哲学が語られていて、
論理的である。論理をやつすではなく、本当に論理的である。
弁証法についても勉強しておられる。法華経徒だったのだろうか?
いま、伝記を注文しているところ。どういうバックグラウンドがある
んだろう。
将棋がなぜ社会にとって、人にとって必要であるのか、わかりそうな
感じがする。
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「金五郎語録」http://ameblo.jp/lovingshogi/entry-10284232430.html

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同じ研究の虫だった山田道美さんは将棋における勝の排他性・
敵対性(いわば否定性)に耐えられず転職を考えたほどだったと
聞いたことがあるのだが、金子さんはそれを否定性ではなくむしろ
肯定的に捉えて感動的である。そうか、必要なる否定性が世の中
の根幹になっているのだろうか、たしかに仏教的なような気はする、
直観的に。詭弁じゃないと思うのだが。
つまり、金子さんは、ヘーゲルベルグソンとを仏教で融合させよう
としているのではないかと私は推測している。どういう教養の背景が
あるのだろう。かなり知識人的な人だと思う。時代的にはどうなのだ
ろう。
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