目次があるだけで「変わりゆく現代将棋」は印象がずいぶん違うなあ。

将棋観戦記というブログに「変わりゆく現代将棋」の紹介が載っている。目次も転載されている。
遂に発売する「変わりゆく現代将棋 上下」
これを読んで、ああ本になったら目次があるのだ、と思った。当たり前の話をどうして? と思われるかもしれないが、連載のときにはこの目次はなかったのである。しかもこのたび本になる上・下巻の全体に「第一章 矢倉」という名称がついていた。いま自分はどこにいて、いったい何を読んでいるのかがわからなくなり、いつ連載が終るのかの見当もつかぬまま次号を待つ、というのが当時の感覚で、それが「難解」ととらえられた大きな理由だったのかもしれない。
だから、完結した連載を通読するときに、まず自分で目次を作らなくてはいけなかった。何がどこにつながっているのか、一年以上前の雑誌と行ったり来たりしなければならなかったわけだが、その作業が実に難しくも楽しかった。この本にはその楽しみは含まれていないけれど、その分ずいぶんわかりやすい親切な構造になっているように思う。
普通、本を紹介するときは目次を転載するのだが、一昨日のエントリーでそれをしなかったのは、無意識のうちに、この本には目次はないものなんだ、目次がないほうが自分で作れるから楽しいのだ、と思ってしまっていたのかもしれない。