金子金五郎語録(12) : 金子の加藤一二三論(1)

ものぐさ将棋観戦ブログ「金子金五郎加藤一二三分析」で本ブログの前エントリーを取り上げていただいた。
http://blog.livedoor.jp/shogitygoo/archives/51602813.html
さらにTwitter上のやり取りで、

ブログでも書きましたが、現在の加藤先生の姿をまるで予見するかのような金子金五郎の本質洞察力には驚かされました。昔の棋士の話でなく我々がよく知っている棋士の話だけに、すごく説得力があります。
http://twitter.com/shogitygoo/status/6891806982

とあった。確かに「昔の棋士の話でなく我々がよく知っている棋士」の若き日の姿を、金子金五郎がいったいどう描いていたか。それをきちんと読んでいくことで、金子将棋批評の凄みはさらに正確に理解されるのだろう。ものぐささんにそう教えられたので、これからしばらくそんな観点で金子語録を紹介していきたい。
まずは昭和31年(1956年)、今から53年前に、初めて金子が、加藤一二三少年の16歳のときの姿を描いた文章「天才少年の敗局」から。

筆者のみた範囲では加藤の本領は中終盤の乱戦にある。手数が長く中盤の攻防の起伏の波が乱調子となったときくずれない、いわゆる息の長く続くマラソン型である。しかし、大山名人のごとく、精密機械的に細かく動く強さではなく、いつも大上段にふりかぶっている。それでいてくずれぬ緩急の妙をおのずと得ているからたしかに天才である。(「近代将棋」第七巻十一号(昭和31年11月号)

加藤少年にばくぜんと感じるものは駒組―序盤について升田式の近代神経がないのではないかということである。これはある人からまだ少年で経験がないから無理な酷評をするなと叱られるかもしれないし、筆者もしっかりしたことはいえない。だが、序盤技術というものでも中終盤と同じく必ずしも、経験や研究のみで得られるのでなく、先天的なカンというものがむしろ基礎になっているというのが筆者の主張である。この仮説に立ってみると加藤がA級に入った場合、ねらわれるのは序盤であるといえそうな気がする。(同)

ものぐささんが

現代の読者は、金子が加藤一二三の本質を実に誤ることなく的確に射抜いていることに驚きを禁じずにはいられないのではないだろうか。

と感想を述べた対象となった文章(http://d.hatena.ne.jp/modernshogi/20091214/1260841802)は、昭和34年、19歳の加藤からその本質をえぐりだしたものだが、ここで紹介した「天才少年の敗局」は、それからさらに3年さかのぼった16歳の加藤を描いたものだ。
そしてこの次号で、加藤一二三六段対大山名人戦の観戦記「名人と天才少年」を書いている。

横綱と幕内中堅の取組で順当に行けば名人の優勢は動かぬところだが、一番勝負は精神的な面が大きく響くだけに恐れと懐疑を知らぬ加藤の捨身戦法はあなどれない。
しかし、加藤のアナは序盤にある――と前号で筆者は診断したが、ここでもこの前提に立って対大山戦を予測すると――

  • (1) 序盤は経験豊かな名人に有利。
  • (2) 微細な序盤の不利を加藤は例の短打戦法に出るから名人も決定打を振う時機がなく、加藤の短打戦に応酬する期間が長い。
  • (3) この中盤戦から漸次終盤に入るが加藤は多くの敵手の予測されぬ奇手の連発で棋勢挽回、乃至一打逆転で成功しているが対手が精密機械といわれる名人だけに加藤の武器がかえって破綻を大きくすることさえ考えられる。

以上の点から加藤独自の強味が名人の棋風には通じにくいという結論が出てくる。(「近代将棋」第七巻十二号(昭和31年12月号))

16歳の加藤の姿から金子は、未来の大山加藤戦の在りようまでを正確に読み取ってしまっていたのだろうか。
そしてその一年後、17歳の加藤一二三について金子はこう書いている。

五年前に見当たらなかった大山・升田時代に迫る棋士が今、現実に「加藤一二三七段」となって来ている。正直なところ加藤君の戦績抜群にもかかわらず筆者はまだ同君の真価がはっきり分っていない。その理由は、加藤君の勝ち方が「力の強さ」を証明はするが、合理的な勝ち方をしてないことが、たまたまあるという一事につきる。
升田を負かすには加藤君の序盤が良くならなければならないように思える。だから加藤君が升田に対抗するのは同君の経験と、その時代の各棋士の指し方を集成した結論を借用でき、升田にそれを超える新手の創造の生命力涸れはじめた時期ではないかと思う。この想像は加藤(一)君が中盤終盤の新感覚的な棋力があるいは升田を越して行くものがあるのぢゃないかという意味なのである。(「近代将棋」第八巻十号(昭和32年10月号))

一二三の将棋は率直簡明で複雑な組立て方に精力を投入しない。(中略) とにかくさばき、アトは対手の出方次第という態度で、この将棋に限らず大体いつも共通している指し方で、これで勝っているのは中盤以後に対手の予想しない飛躍した手がとびだすからであろう。(同)

卒直大胆につっこむうちにみずから飛躍手を招来する一二三の将棋を理論的にどう解明したらいいだろうか。(同)

17歳の加藤一二三の将棋を理論的に解明しようとする金子の真摯な思考の結果が、前エントリーで紹介した、その2年後の文章になったわけだ。

加藤(一)の棋風をみると近代将棋といわれた木村、花田や筆者達が共通に持つ将棋観をずっと昔に飛び越えた古典に属する指し口が感じられてならない。升田も三代宗看の棋風が好きだといっていたが、加藤(一)君には伊藤印達(詰将棋の煙り詰の作者看寿の兄)を思わせるものがある。筆者はいつか本誌で加藤君の穴は序盤の感覚がすこしわるいところにあるという批評をしたが、このことは、「古典に流れている思想――将棋観――が先天的に加藤にあって、それが細密な分析に基礎を置く今の将棋を知ることを妨げているのだ」といえないだろうか。

つまり加藤(一)にある個性が強くて今の将棋を受け入れることを排除してしまうということである。しかし、この排除作用を受け入れようとする個性的な努力でもあるかもしれない。(一)君は今、その闘いをしつつあるのだと思う。(「近代将棋」第十巻十二号(昭和34年12月号))

またその前号で、19歳の加藤を"達人"と評し、その陽性についてもこう記述している。

すこしほめすぎのようだが、加藤君の対局ぶりをみていると"達人"という感じに近いものをうける。考えているときでも苦しんでいる様子もなく、また、自分の着想を妙に気負う風もない。真面目(まじめ)でいながら、よそ行きも普段着もない態度で一貫している。こういうと大山名人に似ているように思うだろうが、大山には何か一種のくせが底にひそんでいて、それが強味を構成しているように思える。これに比して加藤は陽性であり、表口から名乗りをあげている将棋であり、対局態度もそうだ。(「近代将棋」第十巻十一号(昭和34年11月号))

ちょうど50年前に書かれた19歳の加藤についてのこの文章から、人間のすべては若き日にすでにすべて顕れていて、見る人にはそれが見えるのだ、ということを思う。