「王将に迫る 木村、升田決勝譜」(昭和23年5月刊)

古書をネット経由で入手した。昔から欲しかったのだが、やっと手に入った。昨日こちらに届いてからずっと、この本を読みながら棋譜を並べたり、観戦記の文章を筆写したりしている。
1993年に升田幸三三回忌を記念して「作家が見た升田将棋」という本が編まれた。その冒頭に「木村―升田三番棋戦第一局」の坂口安吾による観戦記が掲載されているが、この古書は、その「木村―升田三番棋戦」が一冊の本にまとめられ、神戸の神港夕刊新聞社から出版されたものである。
第一局は坂口安吾の観戦記(木村、升田の自戦記も差し挟まれている)、第二局は藤澤桓夫の観戦記(木村、升田の自戦記も)、第三局は金子金五郎の観戦記が掲載されている。どの観戦記もとても長い。

木村前名人か、升田八段か―の命題は率直にいって今日ではもう解決されている。
日本将棋界の明日の命題は、升田八段と誰々、誰々と升田八段というように展開して来ているし、既に近代理論将棋に対する升田八段の新近代理論将棋が、棋界に一大旋風と壮絶の渦巻を呈しているのである。

この本の「序」の冒頭である(新聞社が書いた社論みたいもの)が、なかなか刺激的なはじまりだ。日本がまだあらあらしかった時代の雰囲気がよく出ている。東西対抗の意識も今とは比べ物にならないほどだったに違いない。

二十一年秋、この不敗の王座に在り実力十二段とまでいわれた木村名人に圧倒的な三連勝を打ち込んだ升田七段(当時)! この創痍傷痕こそ、木村氏が名人位を転落した要因の最大のものである。

この文章は昭和22年に塚田正夫木村義雄を倒して名人になった直後に書かれたもの。それなのに、升田、升田と書いてあるところが、その後の将棋史を知る現代から振り返れば、慧眼であると言わざるを得ない。

そして本社が二十二年十二月から新春にかけて企画した、木村、升田三番棋戦こそは、も一度、理論派と実戦派を対局させ、その棋風を再検討し新しき棋理を求めんとする好個逸絶のものであった。
配するに坂口安吾、藤澤桓夫、金子金五郎の観戦記は将棋の世界の文学的飛躍ともいうべく、従来の観戦記に新しい道標を示している。

シリコンバレーから将棋を観る」の中で触れた「塚田名人升田八段五番勝負」という古書が昭和24年1月刊なので、さらにその前に企画された三番勝負である。「将棋の世界の文学的飛躍」というのは誇張ではなく、戦後の将棋ブームを下支えした重要な要素であり、この棋戦の企画が果たした役割は大きかったものと思われる。
ところで作家・坂口安吾にとって、このときが升田との初対面であった。

升田八段は初対面だ。復員姿、マーケットのアンチャンという身のこしらえで、辺幅を飾ることなど念頭にない面魂、精強、鋭い眼光である。

と升田の印象を述べたあと、対局前夜の話になる。

酔っ払って傲岸不遜、人を人とも思わなくなるのは、升田八段に限らない。私もそうだし、たいがいそうだ。すべて芸道の人は、その道にウヌボレなしには生きられぬものであるから、酔えばだれしもそのウヌボレが顔を出すのは自然の情である。
酔って、はじめのうちは、升田は弱いと東京の奴は言いよるけどちゃんと勝負に勝っとるのやから仕方ないやないか、などとブツブツ言っていたが、困ったことに、私がまた酔っ払ってアジルのが大好物で、その道の名人なのである。私が一枚加わっては、もう荒れること瞭然であるが、新東海の御歴歴、みんな初対面だから、そこまでは御存知ない。
対局の前夜であるから、少しは酒量を控えると思うと左にあらず、私と二人でウィスキーを一本あけて、さらに日本酒をガブガブのむ。私のような良からぬ相棒がいたせいかもしれぬ。(中略)
とうとう最後に、木村など全然怖くない。オレが強いに極っている、ということになる。なんべんでも勝つ、彼は立てひざして前名人に叫ぶのだ。
酒量は少ないが前名人も酔っている。なんの升田ごとき、という気概は胸底に烈々たる人物であるから、イヤ、俺が強い、まだまだ升田ごときにオクレはとらぬと満満たる自信で叫ぶ、人々の頭越しに叫びあう。

いやあ、現代とは全く異なる激しい対局前夜である。ちなみに公式には木村は自戦記冒頭で升田についてこう書いている。

終戦後升田氏とは半香手合の五番勝負に私はもろくも三連敗を喫した。氏の実力が、数年間戦地にあって生死の境地を体験したそれが如実に反映して見事な飛躍振りである。それからの氏の奮闘は読者が御存知だ。私も得難い好敵手を得て張り合いが出た。棋士として何よりの幸福は、好敵手を得るということではなかろうか。しかも升田氏には私に優る何物かが感ぜられる。

そして、第一局は木村が制した。
そして対局の翌日の描写がとてもいい。

翌日、升田八段は睡眠不足で青ざめていたが、未練げなところはまったくなかった。
対局前の不穏な殺気・敵愾心にくらべて、対局中はともに真剣であるというだけで、殺気立ったところはなかったが、対局後はまた意外に平和、穏やかなご両名であった。
にわかに打ち解けて、仲よしになったような様子であった。
「二人は性格が似てるやじゃないかな。ねえ君」
と木村前名人が、升田八段にいう。
たしかに似ているところはあるようだ。(中略)
「ねえ、君、勝負師はごう慢なうぬぼれがなきゃダメだよ。オレが一番強いといううぬぼれね。強いからうぬぼれるんだ」
と木村前名人が言うと、升田八段がうなずいた。
升田八段の態度を肯定してやろうとする前名人のイタワリでもあったが、また自分自身もそうだ、ということの肯定で、二人の中の同質なものの発見から、友情を育てようとする、あたたかい思いがこもっていた。
升田八段は謙虚な男である。
私のような未熟者がーと彼はいった。

そして坂口安吾は、観戦記をこう締めくくった。

二人の今後の争いほど、二人を育てるものはないはずである。
そして、それをめぐって新人の棋風を一変させ、将棋に革命的飛躍が行われるに相違ない。
すべての道に、そうあれかし―と私は祈って観戦記を終わる。

また升田はこの一局を振り返ってこう書いたのだった。

近来少しく不調といわれ、事実名人戦ではみすみす勝を逸した珍しいこともあったが、この一戦では全く不調の感などなく、激しい闘志を見せ、将棋に野性味さえうかがわれる元気で、その名人位を去って再び裸一貫で立上った姿に敬服し、頼もしくも感じたことであった。