金子金五郎語録(10)

その人の将棋を通して、その人の深奥にふれる、ということは、将棋を鑑賞する者の大きなよろこびである。私はかって升田氏の出現に接して、その人とその将棋がかくも一体になれるものか、と驚嘆したことを覚えている。いまだからいうが、そのころはそういう芸術的な高まりをみられない将棋というもの(むろん、私自身も含めて)に絶望をしていた時であった。そのイミで升田将棋は私の福音(ふくいん)だったといえる。(「近代将棋」第十九巻九号(昭和43年9月号))

いつかどこかで読んだ「絶望」と「福音」という言葉を含んだこの文章を、そのときに筆写しておかなかったためにずっと見つけられずにいたが、昨日やっと再び出合えた。