羽生名人は序盤の長考で何を考えていたか: 名人戦第七局の▲4六歩をめぐって

朝日新聞に掲載された奥泉光氏の「シリコンバレーから将棋を観る」書評の中に、名人戦第七局の▲4六歩がこう書かれている。

将棋ファンといえば、将棋を指すのが好きな人のことだと普通は思うわけなのだけれど、将棋を指さない将棋ファンも世間にはけっこう存在する。かくいう私がそうだ。つまりプロ将棋の観戦を趣味にしているので、これがすこぶる面白いのだ。
本書にも書かれているが、自分ではサッカーや野球をやらない人でも、スポーツ観戦を楽しむことはできる。ならば、それと同じようにして将棋観戦を楽しんでもいいはずではないか。とはいえ、イチローのサードへの返球の凄(すご)さは、見れば誰にでも理解できるけれど、たとえば今期の名人戦第七局、羽生名人の作戦勝ちを決定づけた31手目「4六歩」の凄さは、素人には分からない。プロ棋士から解説してもらって、なんとなく分かった気になれるだけである。

奥泉さんの言う通り、私たちは将棋の深淵について「なんとなく分かった気になれるだけ」なのであるが、それでも、名局が豊穣な言葉によって彩られることで、ときに野球の一シーン以上の感動を、私たちは将棋の一手から得られるのだ。
将棋世界」09年9月号の、観戦記者・小暮克洋氏の手による「特集―羽生善治、大いに語る」の内容があまりにも素晴らしいので(しかし少し噛み砕いて説明しないと「指さない将棋ファン」には難しすぎるので)、ここでご紹介したいと思う。
小暮さんとは、棋聖戦第一局の新潟で一緒になり、対局の翌朝、温泉に浸かりながら(まさに「裸の付き合い」)、かなり長いこと、観戦記について語り合った。羽生、渡辺といったトッププロから若手棋士までが小暮さんに寄せる信頼感は凄いなといつも感じるけれど、彼は当代随一の観戦記者だ。小暮さんは、一局の将棋の真実を、それがいかに難解なものであれ、オフィシャルな形で新聞や専門誌に正確に記録していくことに強い使命感を持っているのだ、と温泉の中で熱く語っていた。そういう彼の使命感と情熱が、プロ棋士との深い信頼関係を育み、この「特集―羽生善治、大いに語る」での羽生の率直な独白につながっているものと思う。
この将棋は、奥泉さんが「羽生名人の作戦勝ちを決定づけた31手目「4六歩」の凄さ」と書いていたように、31手目の▲4六歩が名手で、そこに至る羽生の構想力の勝利だったと言える。
羽生は、後手郷田が、11手目△5八金右と変化して左美濃作戦に出ると見て、それへの構想を立てる。そして、それから6手先の17手目▲7九角と指すときに、67分+昼食休憩の大長考をする。
▲7九角を指したときとは、まだ茫漠としたこんな局面だ。

この段階で羽生は、31手目の▲4六歩を構想するのである。

むろん17手目から31手目までの14手、それぞれが7手ずつ指す間に、無数の変化手順があり、将棋はまったく違う世界に進んでいく可能性はおそろしく高いのだが、その無数の分岐の形勢判断をしつつ、14手先に▲4六歩が成立するのではないかと考え始める。

△4二玉に▲4六歩は、▲7九角に昼食休憩をはさんで67分考えた時点で、成立する土壌はあるのではと意識していました。形は少し違いますが、田中寅彦九段が相矢倉で▲4六歩と突いて作戦勝ちを収めた将棋(平成5年3月12日の竜王戦1組・対島朗九段戦)があり、その筋を思い浮かべました。
実はその田中―島戦が行われた日に私は隣で対局しており、「ヘエーッ、そんな手があるのか」と内心驚いていたらみるみるうちに先手が指しやすくなったので、かなりのインパクトを受けました。それから1年ほどして私も類似形で▲4六歩を採用する機会があり、今回の対局中はその棋譜も念頭に置いていました。(中略) 郷田さんが実際に△4二玉と指すかどうかわかりませんでしたが、そうなったら▲4六歩の筋はもう1度深く考えてみようと思いました。(将棋世界09年9月号p9-10)

と羽生は、序盤の計2時間に及ぶ大長考について語っているのだが、この茫漠とした局面で、16年前の棋譜や、その将棋が指されていたときの情景を思い出しながら、名人位防衛に向けての構想を立てていたわけである。
果たして29手目までは、羽生の構想通りに手順が流れて行った。そして30手目にもし郷田が△4二玉と指せば、羽生の狙いにはまる。

郷田さんの△4二玉は、わりと無警戒にスーッと指されたような気がしました。予定通り再度読みを入れたところ、いけるのではないかと判断し、▲4六歩を実行しました。(同p11)

羽生は局後、ネット中継コメントの11手目△5二金右に対して、「△5二金と指されたのは久しぶりなので、昔のことを思い出しながら考えていました」(羽生)と語っているが、「昔のことを思い出しながら考えていました」と私たちが普通に言うのと、棋士が「昔のことを思い出しながら考えていました」と言うことの質感がまったく違うことがわかる。
この将棋は、渡辺竜王が解説役としてネット中継でリアルタイムでコメントしていた。

17 7九角(88) (67:00/02:03:00)
「指さないなあ」とまた渡辺竜王がつぶやいた頃、羽生の手が動いた。昼食休憩をはさんで、1時間7分の消費時間。この引き角もまた、ごくオーソドックス。「△4三金▲6七金△7四歩。そこでまた止まると思います」(渡辺竜王

むろん渡辺が対局者であれば、違う深さで局面を読むだろうから、一概には何も論評できないが、17手目の羽生の長考の真意に渡辺はここでは気づいていない。

19 6八玉(59) ( 2:00/02:05:00)
「あっ! 玉だ」(渡辺竜王)。先手は早囲いに出た。

ここからしばらく、何かを企んでいる羽生の指し手のいちいちに渡辺は驚いている様子を見せる。渡辺のセンサーは何かを感じているのだ。渡辺が対局者なら、このあたりで羽生の真意を探るための大長考に入ったことだろう。
そして、郷田が「無警戒にスーッと」(羽生談)指した30手目△4二玉の場面でも、

30 4二玉(51) ( 8:00/02:17:00)
「これは左美濃がいきそうな……。いや、そうでもないかな。まだわからないです。▲4六角△6四角▲3七銀と進んで、互いに飛車先を突いていく感じでしょうか」(渡辺竜王

と解説しているが、次の31手目が指された段階で初めて、これが羽生の新構想であることが判明するのだ。

31 4六歩(47) (31:00/03:06:00)
控え室ではまったく検討されていなかった歩突き。(中略) 「ええっ?! この形ではまったく見たことのない新構想です」(渡辺竜王)。(中略) 進行の一例は(1)△6四角▲6五歩△5三角▲5七銀△7四銀▲4五歩△同歩▲5三角成△同金▲4八飛(または▲3七桂)。「これは後手の陣形がバラバラで、自信がないですね」(渡辺竜王)。(中略) 似た形が現れた実戦例を検索してみると、1994年竜王戦1組▲羽生−△青野戦がヒットした。本局現在の局面と比べると、後手は△3一玉、△2二玉、△7四銀、先手は▲4七銀、▲3六銀と進んでいる形。その際には、先手の羽生は快勝を収めている。

ここでようやく私たちは、羽生がのちに語る

それから1年ほどして私も類似形で▲4六歩を採用する機会があり、今回の対局中はその棋譜も念頭に置いていました。

という、過去の棋譜の存在に気づくのである。
羽生が常々「量が質に転ずる可能性」について語っていることは、拙著の中でも繰り返し論じたが、名人戦第七局の▲4六歩をめぐるこのエピソードは、まさに「量が質に転ずる可能性」を具体的に示している。