「週刊現代」2009年7月18日号に寄稿した『勝ち続ける力』書評

週刊現代」編集部のご厚意により、同誌7月18日号に寄稿した『勝ち続ける力』書評を、本ブログに転載する許可を得ました。どうぞご一読ください。

『勝ち続ける力』 著者 羽生善治柳瀬尚紀 新潮社(1470円)  評者 梅田望夫
―― 将棋を究める天才の内面に 濃密に詰められた"叡智"の数々が 的確な言葉に"翻訳"された絶妙対談 ――


羽生善治名人は言うまでもなく将棋界の第一人者である。しかし羽生の姿、立ち居振る舞いを見て、その言葉の数々を耳にして、「羽生は将棋が強いというだけの人物ではない」と多くの日本人が気付いている。
しかし羽生は、山奥で一人きりで暮らすことになっても「いまの生活と、特に変わらない」と言い切るほど、将棋に没頭した学究のような生活を送っている。羽生が自己を表現するのは将棋の対局を通してであり、「ジョイスシェイクスピアの文学作品と同じような多重構造」を持った棋譜、歴史に残る深みのある棋譜を残すことが、彼にとっての最優先事項である。
将棋を究める羽生の内面には、私たちが学ぶべき叡智が詰まっているが、それを言葉にして引き出すには、熱意溢れる翻訳者の存在が不可欠なのである。その翻訳者は、将棋への深い愛情と敬意を抱き、そのうえで羽生を、総合的な知的能力を有する一人の人間として理解していなければならない。なぜなら羽生は、将棋について話すときに最も活き活きとした言葉を発し、その先で普遍性のある叡智を語るからである。
本書は、羽生の翻訳者たるに最適な資質と情熱を持った柳瀬尚紀の存在ゆえに、羽生の新しい言葉に満ちた名対談に仕上がった。熱烈な将棋ファンでジョイスの翻訳で名高い翻訳家・柳瀬尚紀は、約二十年に及ぶ親交を通して羽生との間に深い信頼関係を築いてきた。十九歳のときの羽生に「旺盛な知的好奇心」と「とてつもない知的能力」を確認した柳瀬は、「羽生さんはジョイスなんだ」「将棋の価値の大きさ、羽生名人のすごさを対談という形で世に翻訳しようという妙な使命感をつい持ってしまう」と、その心境を語る。
「将棋をもっともっと総合的に認識し直して、その中から、どれだけの価値を提供できるのかを追及しなければなりません」「将棋界と離れたところでどれだけ(将棋に)価値を見出してくれるかが、今後は大事になってきます」
現代将棋、記憶、天才、創造性、決断力、自信といったテーマが縦横に語られるのに加え、羽生の「将棋の未来」についてのこんな開放的な思考も本書では提示される。いずれ羽生が背負っていく「将棋界の未来」の姿をも垣間見ることができる一冊である。 (「週刊現代」2009年7月18日号)

勝ち続ける力

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