金子金五郎語録(8)
手がよく見え、それに激しい性格が加わると独走型の棋風になりやすい。升田はこの種の代表的天才で、その極致に達した人といっていい。しかし天二物を与えずで、思考線が前へ前へ進む結果、いつしか"二人で将棋は造られて行くもの"ということを忘れ、われ一人で難関の問題を提供して、それに苦しむ場合 ――自己の内面闘争としての将棋となる。しかし、現実の対局としての将棋は他の一面である"対手に指させてから自分の手を考える"様式も必要であって、大山がよく二枚腰といわれるのも、この種の思考様式をとるから局面に余裕が保てるためであると思う。升田がぼつぼつとなしくずし的に大山から負け越していた長い時代に将棋その物で勝ちになっていたことが多かったのも、最初は独走が良く利きラストでは余裕がなくなり、大山はその反対であった現象を語るものであったろう。
古来から棋風の転換は不可能とさえ言われる通り、筆者も升田を"余りにも天才なるがゆえ"そして激しい性格のゆえにどうすることも出来ない棋風を天才の持つ一ツの悲劇とみていた。
ところが去年、王将位を大山から奪って以来、大山に今年の王将戦、九段戦と連戦連勝の成績を示し、おそらく自他ともにアッというほどのものであったろう。そしてそれが奇妙にも升田が慢性的な病気に冒された期間と歩調を一ツにしている。だから、この二ツを偶然の異なるものと見ずに何等かの関係を見ないわけには行くまい。それに想い出すのは去年升田の口から「もう自分の将棋は停まったらしい。だから負けない将棋を工夫するよりない」といった言葉である。"負けない指し方"とは対手の歩調にピッタリ密着して行くことである。ここに升田本来の独走の将棋の反省が始まっている。というより病気に追いつめられ人力の限界を諦観した姿がある。(「近代将棋」第八巻七号(昭和32年7月号))