金子金五郎語録(7)

新手の意味は棋士によってもっと拡げて「受けの手でも新手は新手」といえるかもしれないが、「升田は主導権を本に対手を支配する意味を含んだものが新手である」と主張していることに注意せねばならない。これは氏の個性の"厳しさ"を物語る。また"厳しさ"ということは"純粋性"ということと一致している。氏の将棋の思考様式はこれこれは新手に非ず。「非ず」という否定形式で不純物を払いのけ、これしかないという厳しさをもって認めた手でなければ採用しない。氏の将棋に勝敗を問わず、香気の高いものを感じるのはこのためである。氏は一時、「将棋は芸術だ」と言っていたが、それはそれを意識して指すという意味ではなく、ありていに言うと、魂の底からほとばしるものが将棋になくては勝てない――つまりその捨て身の心から新手は生れるべきものだ――という氏の将棋観を言ったものであり、なお、そうした境地に入った将棋には当然"美しさ"があるということの意味もあった。(「近代将棋」第八巻九号(昭和32年9月号))