棋聖戦ウェブ観戦記を補足する(1) たまたま同じ局面

(4) 必見、新たなる急戦矢倉の展開
http://kifulog.shogi.or.jp/kisei/2009/06/4-fd1e.html
で紹介した渡辺明ブログ(http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/54c62462648a475502e3adc989034ff8)のこの言葉。

5月29日の王位リーグ▲渡辺−△羽生名人では△5三銀右に▲5七銀右と指しました。この手は前例が10ほどあって新手ではないのですが、僕が竜王戦で新手を指してからの、新たな急戦矢倉の歴史としては新研究のつもりでした。

という部分は、「シリコンバレーから将棋を観る」の羽生さんの次の言葉に呼応している。

梅田 将棋というものが進化していくプロセスというのが、すごく楽しみなんですね。先程から話題に上っている「物語」としての将棋の楽しみ方、それも一局一局の物語とはまた別にある、将棋の進化についての物語です。複数の物語が折り重なり、重層的に奏でられていくことの楽しさが、そこには間違いなく存在している。
 羽生 あああ〜! それで、あの、指しているとですね、同じ局面でも位置づけが違う、というときもあるんですよ。つまり、過去にこの局面は何十局もありましたと言うけれど、十年前に同じ局面が出たときの背景と、今日いま指されている将棋の背景は、まったく別なんだ、別だけれど、たまたま同じ局面なんだ、という。(p269)

「△5三銀右に▲5七銀右と指しました」(渡辺)という局面が、羽生さんの言う「同じ局面でも位置づけが違う」という局面の非常に良い事例だ。羽生さんは「過去にこの局面は何十局もありましたと言うけれど、十年前に同じ局面が出たときの背景と、今日いま指されている将棋の背景は、まったく別なんだ、別だけれど、たまたま同じ局面なんだ」と言うわけだが、それが渡辺さんの言う「僕が竜王戦で新手を指してからの、新たな急戦矢倉の歴史としては新研究」という言葉と呼応している。「この手は前例が10ほどあって新手ではない」(渡辺)のだけれど、去年の竜王戦第六局第七局の前と後とでは、同じ局面でも、その意味が「まったく別なんだ」(羽生)、「別だけれど、たまたま同じ局面なんだ」(羽生)ということだ。
このことを、観戦記(4)ではどうしても書きたいと頭にこれらの素材が浮かんだのだが、いかんせん時間が足りず、その場で書くのは断念したのだった。