シリコンバレーから遠野へ

Twitterでこんなふうに書きましたが、

いまはまだシリコンバレーにいるが(日本は第二局の前夜)、これから飛行機に乗って東京に向かい一泊(第二局一日目の夜)、そして翌朝から新幹線で遠野に向かい、二日目昼食休憩の間くらいに対局場の宿に到着する予定。飛行機がちゃんと飛びますように。

将棋タイトル戦を巡る旅は、一昨年が新潟岩室温泉、豊田市、そしてパリ。昨年は、南紀白浜、伊豆今井浜温泉、新潟岩室温泉、道後温泉、そして京都。 今年に入ってからは、一月の鳴門市につづいてこの遠野が二回目で、あわせると十回目になります。
毎年「ウェブ観戦記」をリアルタイムで書いている棋聖戦は、挑決が深浦渡辺戦と決まりました。今期の棋聖戦は羽生深浦戦か羽生渡辺戦のいずれになっても現代屈指の好カード、しかも「シリコンバレーから将棋を観る」以来、たいへん親しくしている棋士同士の戦いとなるので、観戦記の書き甲斐があります。というわけで、何とか昨年同様、二局を観に行けるよう日程調整中です。
では、これから東京経由で遠野に向かいます。

目次があるだけで「変わりゆく現代将棋」は印象がずいぶん違うなあ。

将棋観戦記というブログに「変わりゆく現代将棋」の紹介が載っている。目次も転載されている。
遂に発売する「変わりゆく現代将棋 上下」
これを読んで、ああ本になったら目次があるのだ、と思った。当たり前の話をどうして? と思われるかもしれないが、連載のときにはこの目次はなかったのである。しかもこのたび本になる上・下巻の全体に「第一章 矢倉」という名称がついていた。いま自分はどこにいて、いったい何を読んでいるのかがわからなくなり、いつ連載が終るのかの見当もつかぬまま次号を待つ、というのが当時の感覚で、それが「難解」ととらえられた大きな理由だったのかもしれない。
だから、完結した連載を通読するときに、まず自分で目次を作らなくてはいけなかった。何がどこにつながっているのか、一年以上前の雑誌と行ったり来たりしなければならなかったわけだが、その作業が実に難しくも楽しかった。この本にはその楽しみは含まれていないけれど、その分ずいぶんわかりやすい親切な構造になっているように思う。
普通、本を紹介するときは目次を転載するのだが、一昨日のエントリーでそれをしなかったのは、無意識のうちに、この本には目次はないものなんだ、目次がないほうが自分で作れるから楽しいのだ、と思ってしまっていたのかもしれない。

「変わりゆく現代将棋」連載とはどんな雰囲気のものだったか。

将棋観戦記からトラックバックをいただき、さきほど紹介したエントリーに追記がなされたことを知った。
遂に発売する「変わりゆく現代将棋 上下」(最後に追記有り)
この追記分を読むと、羽生さんがその二十代後半の三年半を費やした「変わりゆく現代将棋」という連載が、当時の読者にとってどんな雰囲気のものだったのかがとてもよくわかる。

天才というのは常に凡人の考えを上回り裏切り続ける。始まったのは例の77銀か66歩かという哲学的な問いだったのだ。正直に記せばあの連載が進むに連れて私の期待は失望に変わっていった。これは私にとって、アンドリューワイルズフェルマーの最終定理を証明するための重要な一部分を、(聴講者に対してはその目的を秘したまま)大学院の講義で数カ月にわたって行うのだが、最初はいた受講生が何をワイルズがやろうとしているのか分からなくなって聴講から脱落していき、最後は証明するのを手伝う別の教授とふたりだけの授業になっていくのだが、そのエピソードを思い出させるものだ

というのは、本当に言い得て妙である。また、

私の感想である「急戦の話が多い」というのは連載当時は全く意識していなかった(というか正直に記すとそのうち流し読みするようになった)ので、羽生善治が何をやっているのかさっぱり分からなかったのだった。
これは、言うなれば羽生善治という天才が独力でナスカの地上絵を製作する作業を地べたで、その脇で、リアルタイムで眺めていたというのが当時の状況だったのではないか。
そういう意味において、この「変わりゆく現代将棋」という本は、単なる定跡本ではない。羽生善治の頭の中にある「巨大な地上絵」の一部を観光するような経験を我々にもたらす本なのかもしれない。

というのも、ことに「羽生善治という天才が独力でナスカの地上絵を製作する作業を地べたで、その脇で、リアルタイムで眺めていたというのが当時の状況だった」とは、実にうまい表現だと思う。こういうものを読むと、将棋というものを巡って書かれるべき言葉が、まだまだそこかしこに眠っていることを感じる。
ここ二年ほど、ほとんど一人で「変わりゆく現代将棋」と格闘してきたので、本書が刊行されて、多くの読者の感想がウェブ上に溢れるのが、ますます楽しみになってきた。

「変わりゆく現代将棋」対談準備メモの一部: 時代背景

「変わりゆく現代将棋」に収録される羽生さんとの対談のために準備したメモの一部(時代背景編)を公開します。「変わりゆく現代将棋」をより楽しむための一助になればと思います。


第一回(将棋世界97年7月号)

  • 時代背景: 谷川羽生第55期名人戦第四局。後手谷川。5手目▲7七銀、18手目△5三銀右から、▲6九玉△5五歩▲同歩△同角▲7九角△2二角▲4六角△6四銀▲5六歩 『しかし局後▲4六角は欲張りすぎだったか、と悔やんでいた。また▲5六歩は封じ手だが、ここも▲3六歩の方が良かったという。』が羽生の述懐。「変わりゆく現代将棋」連載第5回(4ヶ月後)に、▲5六歩より▲3六歩の方が良いという説明がある。
  • 時代背景: カスパロフの対コンピュータ敗戦
  • 佐藤康光自戦記冒頭『チェスの世界チャンピオン、ガリー・カスパロフ氏がIBMスーパーコンピューターディープ・ブルー」に敗れるとのニュースが入ってきた。昨年は挑戦を3勝1敗2分で退けたが今年はパワーアップしたディープ・ブルーの前に1勝2敗3分で敗れた。(中略)今回のようなニュースを聞くと我が将棋界もコンピューターがトップレベルまで登りつめるのは時間の問題という気もする。ただ私が現役でいる間は何とか阻止したいと思っている。羽生七冠王が誕生した時、森下八段は「選手として屈辱です」と語ったそうだが棋士にとってコンピューターに負ける以上の屈辱はないであろう。』

第二回(将棋世界97年8月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている谷川羽生第55期名人戦第六局の谷川による自戦解説(永世名人誕生) ▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲6六歩△8五歩からの後手谷川の急戦棒銀 『谷川 ・・・ 第6局も▲7六歩△8四歩の出だしになると予想していましたが、そこで羽生さんがどう指してくるか。▲7八金か、▲6八銀△3四歩の時に▲7七銀と矢倉を目指すか、本譜の▲6六歩。この三通りのどれかだと思いました。▲6六歩と突かれたら急戦棒銀の予定でしたが、持ち時間が9時間の名人戦で指すのは勇気がいります。しっかり咎められるのでは、という気がしますから。――最近、急戦棒銀を多用しています。谷川 振り飛車の勝率がよくなく、本格的な矢倉を指さないとすると、後手番で指す戦法がなかなかありません。ゆっくり考えなければいけないんですが(笑)。――矢倉を指さなくなった理由は。 谷川 今は特に▲3七銀戦法が全盛で、△6四角に▲4六銀から▲5八飛と回る将棋が多い。一年前くらいに一局指しましたが、それ以降はもう指さないようにしようと。あまり同じ将棋では、ファンの人にも飽きられますから。』
  • 時代背景: 同じ号に載っている谷川羽生名人戦第五局観戦記。▲7六歩△8四歩▲7八金△8五歩からの角換わり腰掛け銀。『谷川はこの3日前に行われた全日プロ決勝第5局、優勝後の会見で「先手なら3手目▲7八金がテーマでした」と現在の研究課題を述べていたが、名人戦は第2、3局に続き3手目▲7八金が現れた。本局の後手番羽生名人の出だしの異常ともいえる長考が示すように、今期シリーズは1日目の進行が遅く、現代将棋の序盤戦の難しさを考えさせられる。』
  • 時代背景: 同じ号に載っている谷川森下第15回全日本プロトーナメント決勝五番勝負第五局。▲7六歩△8四歩▲7八金△3二金▲6八銀から後手森下が先手谷川の角換わり腰掛け銀を拒否し、先手の右四間飛車に。
  • 時代背景: 同じ号に載っている西川慶二六段の矢倉の講座『今月も先月に引き続き「矢倉」について述べてみたいと思います。といっても羽生四冠の「変わりゆく現代将棋」のように最新のプロの矢倉戦についてというような難解なテーマでは勿論なく、お互いに矢倉囲いを完成することを前提に話を進めたいと思います。』

第三回(将棋世界97年9月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生佐藤第38期王位戦第一局の佐藤による自戦解説戦型は相掛かり。「相掛かりから▲5八玉」を当時の佐藤は「誰が最初に思いついたのだろう」と嘆息し「奇襲に近い」と述べている。『羽生王位はやはり不調なのではないか。対局中、二度程私はそう考える時があった。しかし終局後、それは錯覚であり、私は自分自身の甘さを痛感させられる事となる。』『作戦はある程度は考えていた。相掛かりから▲5八玉。最近では塚田八段が連採されているがデータも少なく、未知の分野といえる。神谷六段の「奇襲虎の巻」という本にも紹介されているのでどちらかというと奇襲に近いか。しかしこれは一体誰が最初に思い付いたのだろうか。』
  • 時代背景: 同じ号に載っている河口俊彦の新・対局日誌。『近藤四段は不思議な中飛車戦法で勝ちまくっている。中飛車に振ってからの指し方は、システム化されているようでそうでなく、相手の出方によって臨機応変に対処する。先崎君が「あの中飛車でよくやりくりできるな」と感心していたから本物なのだろう。』

第四回(将棋世界97年10月号)

  • 時代背景: 本号発売直前の1997年8月26日に「横歩取り8五飛」の1号局が指された。中座真対松本佳介戦。
  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生佐藤第38期王位戦第三局。戦型は第一局と同じ「相掛かりから▲5八玉」。『羽生王位によれば「塚田さんと佐藤さんの二人の間だけではやっている」戦法とのことだ。』
  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生佐藤第38期王位戦第四局。戦型は相矢倉最新型。谷川が「今は特に▲3七銀戦法が全盛で、△6四角に▲4六銀から▲5八飛と回る将棋が多い。一年前くらいに一局指しましたが、それ以降はもう指さないようにしようと。あまり同じ将棋では、ファンの人にも飽きられますから。」と言ったそのものの戦型。
  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生佐藤第56期A級順位戦(佐藤の自戦解説) 戦型は後手羽生の原始棒銀(谷川流原始棒銀)。谷川羽生第55期名人戦第六局の谷川の側を持つ。

第五回(将棋世界97年11月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている佐藤塚田戦の佐藤自戦解説。戦型は第一局と同じ「相掛かりから▲5八玉」の新・塚田スペシャル。前号の羽生発言『羽生王位によれば「塚田さんと佐藤さんの二人の間だけではやっている」戦法とのことだ。』を受けて、佐藤はこう言う『先月の本誌の記事によると塚田八段と私の間だけではやっている戦法との事だが、秘かにとてつもなく優秀な戦法ではないかと思っている(あくまで現時点)。皆、まだ気が付いていないのだろうが、大流行する可能性もあると思っている。』
  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生島第45期王座戦第二局。「藤井システムの可能性」。羽生後手番藤井システムでの快勝譜。
  • 時代背景: 近藤四段のゴキゲン中飛車講座連載がスタート。

第六回(将棋世界97年12月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている保坂和志エッセイ。『四月にカスパロフがコンピュータに負けたことを、いまではマスコミは忘れてしまったようだけれど、将棋の世界でも「人間がコンピュータに負ける日」は確実に近づいている。』
  • 時代背景: 同じ号に載っている谷川真田第10期竜王戦第一局(オーストラリア) 戦型は矢倉戦五手目▲6六歩に対して後手谷川の△6四歩からの陽動振り飛車。『谷川は△6四歩から陽動振り飛車模様だが、これは最近の谷川のテーマといえる戦形だ。』

第七回(将棋世界98年1月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている藤井インタビュー『この間の王座戦で羽生王座が藤井システムを指されましたが、あれなどは最新形といえるのではないかでしょうか。途中△6三銀と上がる手などは私が考えた事がなかった手で勉強になりました。違う人が藤井システムを指すとまた違う雰囲気になるので見てみたいですし、私ももうちょっと研究してさらに可能性が広がればいいですね。』
  • 時代背景: 真部将棋論考は、人間対コンピュータ。カスパロフ対ディープブルー。

第九回(将棋世界98年3月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生佐藤第47期王将戦第一局、第二局
  • 第一局は、後手佐藤の急戦矢倉(五手目▲6六歩型)。18手目△5三銀右から▲2六歩△8五歩▲7七銀△6四銀(佐藤新手)。観戦記は塚田八段。『第2図で羽生が次の一手を封じて、第1日目が終了した。ここまで封じ手を含めて31手。最近の2日制タイトル戦では「1日目は進まない」のが普通になってきた。これは多分、羽生がタイトル戦に出てからの傾向で、最近の将棋が特に序盤を重要視している証明でもある。』

第十回(将棋世界98年4月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている羽生佐藤第47期王将戦第四局のグラビア記事に『連載中の「変わりゆく現代将棋」は、プロでも難しい内容だという。少しでも進歩しようとすることが棋士の務めでもある、という羽生だが、文章の端々に楽しみながら研究し執筆している様子が窺える。序盤から惜しげもなく時間を使った本局でも、1回の連載分の数十倍の変化が捨て去られたことだろう。我々はただただ感嘆するしかない。』と記されている。

第十四回(将棋世界98年8月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている谷川(後手)佐藤第56期名人戦第六局は、5手目▲6六歩型、12手目△6四歩に対して13手目▲7七銀と上がり、佐藤が矢倉中飛車を誘う形になった。佐藤勝利
  • 時代背景: 佐藤康光新名人誕生

第十五回(将棋世界98年9月号)

第十七回(将棋世界98年11月号)

  • 時代背景: 同じ号に載っている谷川(後手)羽生第46期王座戦第一局は、5手目▲6六歩型、8手目△6四歩。「△6四歩は作戦だった」「新しい将棋を作りだしていきたい」(谷川竜王のコメント) 後手谷川は、8手目△6四歩、5筋を突かずに△6三銀、△4三銀と構える。(後手の形は升田の構え。1963年(昭和38年)名人戦第三局。5手目▲7七銀型で後手向飛車。) 谷川の勝利。

第十九回(将棋世界99年1月号)

「変わりゆく現代将棋」(羽生善治著、上下巻) 4月23日発売!!!

とうとうこの日が来たか、と言えば大仰に過ぎるかもしれないが、羽生さんの未刊の名著「変わりゆく現代将棋」がついに発売される。自分の本が出たときと同じくらい嬉しい。そして、これほど重要な作品の誕生に貢献することができた(ひいては将棋の世界に貢献できた)という意味で、僕はいまとても興奮している。
本書刊行については、版元の毎日コミュニケーションズからニュースリリースが出ている。
http://www.mycom.co.jp/news/2010/04/_423.html
4月21日に毎日新聞で開催される名人戦第2局大盤解説会の開始時に「『変わりゆく現代将棋(上・下)』先行発売&出版記念イベント」が開かれるとのことだ。
「変わりゆく現代将棋」下巻には、羽生さんとの対談「現代将棋と歩んだ十年」が収録されている。「対談」というよりも、僕が聞き手になって、羽生さんの「現代将棋と歩んだ十年」についての話を聞いているといったほうが正確だ。本のページ数にして20ページ以上にわたるもの。「将棋世界」4月号にそのほんの一部が掲載されたので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。
話は昨年9月、京都で行われた王座戦第二局終了後の打ち上げ会場にさかのぼる。羽生さんと山崎さんによる長い長い感想戦が終ったあと、打ち上げは深夜0時30分から始まった。
そのとき、打ち上げ会場で羽生さんに会ったときの彼の第一声が、
「「変わりゆく現代将棋」、とうとう本になることが決まりましたよ!」
だったのだ。そのときの羽生さんは本当に嬉しそうだった。
ほどなくして「将棋世界」編集部から、この対談依頼があり、その次の来日時の11月に日程調整をして、羽生さんと対談することになったのだった。歴史に残るこの名著の中に収録される対談なので、僕のほうも責任重大である。
ということで、それから対談までの間に、ノートを取りながら「変わりゆく現代将棋」連載全41回分を再読し、連載で語られた手順の変化はすべて盤の上で並べ、時代背景をより深く理解するために、連載が掲載された「将棋世界」1997年7月号から2000年12月号までの主要記事を読んだ。昨年の9月下旬から11月初旬までは、仕事の合間の時間をほとんどすべてこれに費やし、ノートは400字詰め60枚くらいになった。そんなふうに僕なりに準備にもベストを尽くした結果の「対談」で、羽生さんの新しい言葉をあれこれと引き出すことができたのではないかと思っている。ぜひご一読いただければと思う。
「変わりゆく現代将棋」の意義については拙著「シリコンバレーから将棋を観る」のなかで書き尽したので、その内容は繰り返さないが、対談のための再読で改めて考えたのは、「変わりゆく現代将棋」は本当に「難解」だろうか、ということだった。「変わりゆく現代将棋」は連載時に「難解」と評価され、その先入観が書籍化を遅らせたのだ。本書のニュースリリースに、

本書の特徴は1手1手の指し手が論理的につながっていることです。「なんとなく」や「おそらく」といった曖昧な記述を避け、1手1手にきちんとした理由づけがなされています。ここ十数年の将棋界は序盤戦術が飛躍的に細分化し、本書で語られている体系的な思考もごく当然なものになりましたが、この連載は10年も前に書かれたものでありながら、完成度は現在の目で見てもまったく劣ることはなく、むしろその価値を再認識できるものです。

とあるように、この本はおそろしく論理的なのである。多くの棋書よりも論理的なのに、いや論理的ゆえに、「難解」と評価された。それはどういうことなのか。
「対談」での質問で僕は、
『「変わりゆく現代将棋」は、論理性というものが徹底的に追究された作品だと思うんですね。論理で詰めるためには必ず白黒の判断をしなければいけない、それをここまで考えるのか、と。それが、この連載をたどった時に、強く感じたことなんです』
と羽生さんに問いかけたのだが、この本は、論理性を貫こうとする羽生さんが下す「白黒の判断」の背景までをすべて理解しなければ・・・と考える人にとって、特に「難解」に思えるものなのだ。「白黒の判断」の背景まですべて理解しなければ・・・と考える人とは、「将棋を指す」人である。しかもプロ棋士も含めて、将棋のおそろしく強い人たちである。
言い換えれば、この本は「将棋を指す」ために読もうと考える、将棋のおそろしく強い人にとって、特に「難解」な本なのではないか。そして逆に僕のように、「将棋を指す」ために読むのではなく、純粋に現代将棋を巡る羽生の思考の跡をたどりたいと思って読んでいた者のほうが、きっとその「難解」の罠にはまらずに読み進めることができたのだろう。
『将棋の強い人が「難解」だと言うのだから、すべての人にとって「難解」であろう』という断定(おそらくこの断定ゆえに、本書は埋もれてしまっていた)は、正しいようで正しくないのである。
この「変わりゆく現代将棋」という作品は、「将棋を指す」ために読むということを離れたときに、より深く理解できる作品なのかもしれない。このあたりが「指す将棋ファン」と「観る将棋ファン」の違いが際立つところでもあり、門外漢の僕がこの「変わりゆく現代将棋」という作品の再生に関与することができた理由は、突き詰めればそこに行きつくのではないかと思うのである。

名人戦開幕

いよいよ名人戦開幕である。さきほど終局した第一局は、大熱戦の末、控室の三浦挑戦者優勢という声の中、羽生名人が先勝した。

私にとっては、棋士を目指して研修会な入会してからずっとつながっている階段の頂点というイメージがあります。一段一段昇ってきて、その頂点にあるもの。しかもその一段一段は、たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段ですね。どこまで行っても険しい山の先にある、特別なものだと思っています。

これは三浦挑戦者が「将棋世界」最新号で語っている、「名人位」というものについての感慨である。「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段」「どこまで行っても険しい山の先」という表現がすさまじい。
ウェブ観戦記を書き、本を書いたことで、多くの棋士たちと個人的に付き合うようになって、以前にもまして、対局一局一局の結果に一喜一憂するようになった。そしてそれと同時に、三浦が言う「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段」ということに、深く共感できるようになってきた。
たとえば、将棋界には七大タイトルがある。
いま棋界の新年度が始まり、四月から名人戦が開幕、そして六月から棋聖戦、七月から王位戦、九月から王座戦、十月から竜王戦と、2010年内には五つのタイトル戦があり、2011年に入って、一月から王将戦、二月から棋王戦と二つのタイトル戦がある。
さあ新年度、すべてはこれからと思っても、名人戦は羽生三浦二人の戦い、棋聖戦挑戦者の椅子に座れる可能性は、深浦・渡辺・稲葉の3人にもう絞られている。王位戦挑戦者は、紅白リーグの参加者12人の中から近々決まる。9月の王座戦は、挑戦者決定トーナメント参加の16人が決定し、まもなくトーナメントが始まる。
たとえトッププロの一人であっても、この中に残っていなければ、上半期にひのき舞台に上がる可能性はない。そしていま竜王戦各組のトーナメントが始まっているが、1組を除き、わずか1敗で、もう2010年の挑戦権は得られない。そして2011年冒頭の王将戦棋王戦の挑戦者を決める一次予選はもう始まっていて、かなりの数の棋士が既に敗退している。
将棋は逆転のゲームであり、たった一手の悪手で敗れる。三浦が言う「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまう」というのは、本当にリアルだ。仮に上半期の可能性がついえていて、竜王戦王将戦棋王戦の予選で1敗してしまえば、開幕したばかりの2010年度の可能性はそれでもう閉ざされてしまうのだ。たとえ「1日12時間の勉強」(三浦)を続けても、毎月勝負のある順位戦を除けば、すべては2011年度のための自己研鑽ということになる。そしてまた同じことが、翌年も続くのだ。
三浦が羽生七冠の一角を崩し棋聖位についたのは1996年のこと。翌97年に屋敷に棋聖位を奪われてから、このたびの名人戦までタイトル挑戦の機会はなかった。以来、23歳のときから36歳までの約13年間、三浦はストイックに将棋に打ち込んで生きてきたが、大事なところですべて敗れたから、タイトル挑戦の機会を逸し続けた。「たったの1局、たったの1手によって、1年間の苦労がすべて水の泡になってしまうような怖い階段」というのは、そんな三浦の実感のこもった言葉なのだ。
終ったばかりの名人戦第一局。三浦に勝機があったのではないかと控室では言われていたが、第一局の意味が研究・解明されたときには、おそらく三浦の「たったの1手によって」敗れたと総括されるに違いない。
三浦は順位戦終戦の前に、浅田真央の特集をテレビで見たという。

勝負を控えて猛練習に励む浅田さんの姿勢に、とても感銘を受けたんです。私は、浅田さんほど真摯に将棋に取り組んできただろうか、という想いが頭を横切りました。それで最終戦の郷田さんとの将棋までは、とにかくできる限りのことをやって戦いに臨もうという覚悟ができたんです。対局までの一週間は、将棋漬けの生活を送りました。

と語っている(「将棋世界」最新号)。
そしていま、三浦は約二週間後の第二局に向けて、同じような想いでいるのだろう。三浦はタイトル戦の番勝負への心構えについて、

いい意味でずうずうしくいこうと思っています。気を遣って疲れてしまい、いい将棋を指せないのでは本末転倒ですから。自分の務めは、全力を出していい将棋を指すこと。

と述べ(同)、決意のほどをあらわにした。
そして第一局では、その言葉どおりに、一日目の夕食は関係者と一緒ではなく一人自室でとり、対局中も耳栓をして盤面に集中していた。
再来週の日本出張のおりに、第二局が行われる遠野まで出かけることにしようと思う。人生を賭けた三浦の大勝負を、どうしても近くで観てみたいのだ。

北海道新聞3/12夕刊。「「指す」「打つ」だけじゃない 熱い対局、無限の広がり」

「観る将棋」の楽しさについて北海道新聞の取材を受けました。「「指す」「打つ」だけじゃない 熱い対局、無限の広がり」というタイトルで、渡辺竜王のコメントとともに、3月12日夕刊に大きく掲載されました。道新から許可を頂いたので、その一部をここに転載します。

梅田望夫さんに聞く

 −−「観(み)て楽しむ将棋」を始めたきっかけは?

 小学校低学年のころ、父や友達と「指す」ことにまずは熱中。しかし新聞の将棋欄を切り抜き、プロ棋士の対局を観戦記を読みながら並べる楽しみを覚えてからは、なぜか「観る」ほうに強い関心を抱くようになりました。

 −−「観る」と「指す」の面白さは違いますか。

 「指す面白さ」とは、将棋というゲームそのものの魅力。「観る面白さ」は、もう少し別の要素が加わります。棋士の魅力、複雑で難解なものが明快に説明されて理解できる瞬間の快感、一局の将棋の無限の広がりを感じる興奮、一局の将棋に流れる物語や将棋の進化の物語を最高峰の将棋から読み取る楽しさ、将棋界の伝統や文化に日本の素晴らしさを思うこと…僕は「観るファン」という概念を提示、新しいファン層拡大に向け問題提起しています。

・・・・

 −−プロの将棋の魅力の根源はどこに?

 人生のすべてを将棋に懸けた二人の棋士が、深い深い読みを一手ごとにぶつけながら、その総体として一局の将棋を彫琢(ちょうたく)していくプロセス、その魅力だと思います。

 −−梅田さんの本業と将棋の活動のつながりは。

 ビジネスと将棋関係の活動は、まったく無関係です。ただ、私の「書く表現行為」の対象として、現代将棋や棋士という人間群像はシリコンバレー、ウェブ進化と並んで非常に興味深いテーマだと考えています。

渡辺明竜王

 梅田さんがインターネットで展開する「ウェブ観戦記」を見て内容が濃いのに感心しました。指し手の内容に深く入るのは最低限にとどめて、盤上以外のところを興味深く見ています。

 だれでも梅田さんのレベルで書けるわけではありませんが、ネットを使った将棋普及に関して新しい道をつくっていただきました。将棋連盟でも独自に、携帯電話を使うサイトの計画が進んでいます。梅田さんの提唱する「観る将棋」、その楽しみ方が広がってくれればと思います。

 自分のブログは、高校を卒業して五段ぐらいの時、少し時間ができたので、「何か文章を書いて発信したい」と思って始めました。その後、竜王位を獲得し将棋界を代表する立場にもなり、そこも意識しています。・・・・・・